All that is experienced is experience, but there is no independent self that experiences and no independent object, other or world that is experienced. There is just the experiencing of experience, and it is ‘experiencing’ that experiences experience.

教師は必要か? (Translated)


Q. チャッキーに返答された中にこのような部分がありました。

 

「クローディアに昨日伝えたように、覚醒の後で幸福が永遠に続くと期待するのはあさはかなことです。マインドと身体はたいてい復讐をしに戻ってきます。資質のある教師が助ける―古い感情のパターンの当惑するような再現を解釈したり、より重要なことですがマインドと身体が新たな目覚めに伴ってゆっくりと再調整されることを助けることの両方において―ことができるのはこの時点においてです。もしそうした教師がいなかったら、ほとんどの場合において旧い習慣が優勢になるでしょう。」

 

ここで教師からの助けと言われているのは、物理的に教師のところに行って共にいるという意味でしょうか?

 

A. はい、チャッキーが言っていたその特定の状況に関して言えば、彼が経験したことを経験し理解している誰かと直接接触することが、そういう状況を適切に解釈することにつながり、また彼の今後の生活で起こることがらに順応する助けになりえます。別の言い方で言えば、この場合は教師と接触することが、マインドや身体や世界の通常の見かけや機能といったものと覚醒とを調和させ安定させる助けになりえます。

 

こうした指導がないと、こういう覚醒の瞬間は往々にして(決して常にというわけではないですが)誤って解釈され、その人のそれ以降の人生は郷愁と切望の状態で時には何十年もの間費やされることになります。

 

Q. 教師がいなければ全くついていないという意味なのでしょうか?

 

A. あなたがついていないということはありません。逆に、誰かに起こる可能性のある最も幸運なことが既にあなたに起こっているのです。それは、真理の本質というものに対する深い興味があなたのハートで点火されているということです。

 

あなたは教師と共にいることを望まないかもしれないし、教師と共にいることはできないかもしれません。でも、あなた自身と常に一緒にいることはできます。あなた自身の存在は常にあなたと共にあります。それと離れてあることが一体可能でしょうか?それがなかったらあなたは何でしょうか?

 

もし私が何か薦めることがあるとするならば、それがあなたをどこに導こうと、どんな度合いでそれを感じていようと、真理への愛と興味に従ってくださいということです。もしあなたの興味が控えめであるならば、それに少しの注意とエネルギーを向けてください。もし深く興味をもっているならば、すべてを捧げてください。もっとも簡単で楽しめそうに見えることをしてください。それはあなたの経験の真実に気づき探らせるものになります。

 

もしどこかの時点であなたの興味と理解に従った結果として、この真理の理解を真に生きている人と共に過ごしたいという気持ちが出てきたら、それに従ってください。

 

これは私自身の経験ですが、真理への深い愛が心をとらえると、言ってみれば宇宙は向きを変えてこの愛と協力します。邪魔するものは何もなくなります。以前は邪魔になっていたように見えていた全てのことが今やかわりに助けてくれます。扉は開かれます。

 

このような場合、宇宙はその人の真理への愛に最も貢献するような形で現象となってあらわれ、それには教師との出会いや友情ということも時に含まれます。

 

究極的にはすべてが等しく<実在>の表現です。これが明白になると、教師をもつべきか否かという疑問は生じません。

 

しかし、このことが明白でない状態においては、教師というのは実在が私たちの人生に現れ得る中で最も強力で効果的な形態のひとつ(多分「最も」と言っていいでしょう)です。

 

本当の教師は人であることは決してありません。でも、私たちの多くはこのことを分かるために友人が必要なのです。

 

(回答の冒頭部分は内容に関係ないため一部割愛)