All that is experienced is experience, but there is no independent self that experiences and no independent object, other or world that is experienced. There is just the experiencing of experience, and it is ‘experiencing’ that experiences experience.

静寂と愛と理解の伝播 (Translated)


Q. スピリチュアルなエネルギーは探求において助けになるでしょうか? 私は多くの霊的な場所を訪れます。インドの有名な聖者の墓がある場所です。そうした聖者は肉体としては存在していませんが、私はそういう場所に行くと強いバイブレーションを感じます。聖者が肉体として存在していなくても、こうした体験は探求者を助けると思いますか? 聖者の写真を見るだけでも私の身体は振動しはじめるのですが。

 

A. どんな形であっても、それが建物であれ、物体であれ、一曲の音楽であれ、絵画や彫刻であれ、書かれた言葉や話される言葉であれ、それがこの理解(訳註:不二一元の理解)から生じたものであれば、この理解が浸透しています。それがつくられた際にそこにあった静寂と愛は、それに触れる人に伝わります。

 

同じことは人物にもあてはまります。もし静寂と愛と理解がその人に現存していれば、それは伝わります。

 

この静寂と愛と理解は一種の共鳴によって伝わります。部屋にあるピアノでラの音をひくと、同じ部屋にあるバイオリンの弦が共鳴し始めるように。

 

実際、このようにして教えは伝えられます。教えにおいて、言葉は単なる包みであり、静寂と愛と言葉を超えた理解こそが教えの本当の内容です。

 

これが教師との関係の本質です。スーフィーのIrene Tweedieがかつて私の友人にこう言いました。「私のところに来て一緒に過ごしましょう。私の幸福はあなたに伝染するでしょう!」

 

ですから、この静寂と愛と理解を喚起するのであれば、それがどんな人であってもどんなものであっても、なんとしても接するようにしてください。ただし、物や人や場所を、あなた自身の存在の宝であると取り違えないようにしてください。

 

そのうち、すべての物体、場所、人々などが、それらがこの<実在>であることをまず告げるようになります。すべてが「私はここです。私はあなたです。」と歌い、そのとき選んで求める必要は消え失せています。

 

これが分かりはじめたときでも、私たちは同じ物体、場所、人々を求め続けているかもしれませんが、それは必要や欠如のために求めるのではなく、愛や喜びに基づいて求めているのです。