All that is experienced is experience, but there is no independent self that experiences and no independent object, other or world that is experienced. There is just the experiencing of experience, and it is ‘experiencing’ that experiences experience.

誰が目覚める? (Translated)


Q. もし人生のすべてが想像上の構造物や白日夢であるならば、目覚めるというのはどういうことでしょうか。

 

A. 人生のすべてが想像上の構造物ということではありません。想像上の構造物(思考、感覚、知覚といったもの)は真に永遠に生きている意識の中で現れ、その意識でつくられています。

 

Q. 目覚めるのは誰でしょうか。

 

A. <意識>は常にはじめから目覚めています。もしくは、もっと正確に言うと、目覚めていることまたは気づいていることは<意識>の性質のひとつです。(存在と幸福は意識のほかの性質のうちの二つです)

 

この<意識>は、時々それが特定の身体に限定されたものであると想像する思考という形をとります。それはあたかもあなたがリア王の衣装を着ることで、自身がアーナンダ(訳註: 質問者の名前、Anand)であることを忘れるようなものです。

 

この思考によって、意識はその無限の性質を忘れ、そのかわりに分離した存在=個人になってしまうようにみえます。

 

いちどこの同一化が起こると、私たちの思考や感情や活動は、分離していて局部的で限定されているというこの信念・感覚から発生し、この信念を表現するものとなります。

 

私たちが自身の<存在>を忘れたときに、<存在>を自覚している状態に本来備わっている幸福が失われるために、この同一化によって生まれる見かけ上の「人」は、果てしない不幸または探求の状態におかれることになります。

 

別の言葉でいうと、不幸で、探し求めていて、本来の性質に目覚めたいと願っているのはこの見かけ上の「人」です。

 

しかし、この「人」は、その本当の正体(<意識>)が見かけの上で隠されているものです。

 

「人」は目覚めることはできません。なぜならそれはそれを考える思考としてのみ存在するからです。思考、幻想が目覚めることなどあるでしょうか?

 

リア王は目覚めることはできません。なぜならばリア王はアーナンダが着ているただの衣装だからです。衣装が目覚めることができるでしょうか?

 

あなた(アーナンダ)はすでに目覚めています。あなた、これらの言葉を見ている<意識>であるそれは、すでに常に目覚めています。ただそれは対象に夢中になってしまって、そのために一見したところ本来の<自己>を忘れてしまっただけです。

 

必要とされることは、もういちどそれ自身を思い出すことだけです。

 

あなたが<目覚め>(想起)と呼んでいるのは、あなたの本来の性質を明確に理解することであり、その結果として、分離した個人は存在しないということをはっきりと理解することです。

 

常に目覚めているそれは常に目覚めています。目覚めていないものは絶対に目覚めることはできません。

 

Q. 何に目覚めるのでしょうか?

 

A. それ自身に目覚めます。

 

別の言葉でいうと、見かけ上の「人」に起こる「目覚め」と呼ばれているものは、<意識>が常にそうであったようにただそうであることです。

 

ですから、目覚めというのは意識がその自己を直接認識すること、または思い出すことであると言えるかもしれません。アーナンダはその経験につけられた名前です。あなたはそれです。

 

ここに付け足してもいいと思われることは、ときに「目覚め」「悟り」「理解」と呼ばれること、常に突然起こる(ただ必ずしも瞬間的であるわけではありませんが)そのことには、ほとんどの場合、「自己実現」と呼んでもいいことが続いて起こります。自己実現においては、身体、精神、世界の経験が、明白で自己を知る<意識>の本質によって浸透され満たされていることが、徐々に理解されていきます。

 

あなたがご承知の通り、あなたの名前は、自分が<自己>の本質に気づいている状態に固有の幸福と平安であることを思い出させるためにつけられたものです。この幸福、あなたの本当の性質は、あなたが眠っているとき、つまり自分が人であると想像しているときには隠されています。

 

あなたが永遠にそうであるそれとして目覚め続けていてください、アーナンダさん。